証し:私はいかにして新しい人生を手にしたか


ビノッド・ダカル兄(チットワン・クリスチャン・チャーチ)
ビノッド・ダカル兄


ネパール、チットワン・クリスチャン・チャーチ 青年部主事


まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国に入るのはむずかしいことです。(マタイ19:23)


「Jayamashiha(ジャヤマシハ)!」

これは、ネパールでのクリスチャン同士のあいさつです。このあいさつは、その人がネパール人クリスチャンであることを示しています。イエス様の御名によって、皆様にもあいさつします。幸いと感謝を覚えます。神様に、久留生先生に、家の教会のすべてのメンバーに。みなさんに敬意を表します。

私の名前は、ビノッド・ダカルです。ネパールの過疎地区で、1980年に生まれました。ヒンズー教の家庭で育ちました。みんなが、石を神様として拝んでいるので、びっくりしました。彼らは、動物をいけにえにし、彼らの心の平安のために、その血を捧げていました。無垢な動物たちを殺して、彼らの信じている神様を幸せにする、それに私はいつも反対していました。家族の信じている神様を信じることに、彼らの信じている神様を礼拝することに、私はいつも疑いを覚えていました。

そのころ、私の家族は21人いました。祖父と祖母、両親、叔父、叔母、そしてすべての兄弟姉妹です。私の父には、4人の兄弟がいました。3人は政府で働いていて、のこりの1人にも定職がありました。そして、彼らの妻たちにも仕事がありました。不運なことに、私の両親は、教育を受けていませんでした。二人とも、農業を営んでいました。ネパールでは、農業従事者は、上からの支配を受けています。彼らは十分な見返りを受けることができず、尊敬もされません。

私たち家族は、良く生活していました。しかし、私の父と母がなぜ教育を受けられなかったのか、なぜ事務所で働けなかったのか、私は悲しく思っていました。今では、祖父と祖母は健在ですが、私たちは二人からは離れて住んでいます。二人は、叔父の家に住んでいます。

私が10歳のときのことです。私は、母の死というショックな出来事に出会いました。この出来事は、私の精神と学業に影響を与えました。それまでは、私はいつもクラスで1番の成績でした。私は、孤独を覚えました。私は、街中をあてもなくさまよい歩きました。私は、家族から愛をいっぱい受けていたのに、学業が嫌いになり、家族と共にいるのが嫌いになったのです。

そのころ、私は1枚のパンフレットを受け取りました。このパンフレットの表紙には、十字架のサインと、「あなたの人生の中におられるイエス・キリスト」と、書かれていました。ネパール語で書かれていたのです。私は、これをしっかりと読みました。パンフレットの最後には、もし、イエス・キリストをあなたの神様として信じたいなら、「このように祈ってください」と書かれていました。そこには、祈りの言葉が書かれていました。この文面に沿って、私は祈りました。

その後しばらく、私は平安のうちに過ごしていました。私が学校の授業を受けているとき、誰かが私のところに来て、数分話せないかと要求してきました。私はそれを受け入れました。それから、その人は私に、信仰と、希望と、神様にある永遠のいのちについて、問いかけをしてきました。奇妙に思いました。私が以前パンフレットで読んだ、まったく新しい考え方だったからです。彼は、イエス・キリストは私たちの個人的な救い主であるということ、そして、イエス・キリストだけが、ただひとつの道であり真理でありいのちであるということ。そして、彼は私に聖書をくれました。この、まったく新しいメッセージは、私の心を打ちました。そして、私は、たくさんのクリスチャン書物を読んで、イエスさまの人生について、より多くのことを知るようになりました。

そしてついに、私はこの世では罪人であることに気づきました。私は、罪深い人生を送っているのだと、悟ったのです。私は、神様のひとり子であり天国から来られたイエスさまが、個人的に私を救ってくださるのだと信じました。そのときから、イエスさまを私の個人的な救い主だと信じました。そして、私は洗礼を受けました。私に、イエス・キリストの話をしてくれた人は、牧師でした。彼の司式で、私は洗礼を受けました。

その後、彼と私は教会を建てようと決意しました。それで、私たちが設立したのが、チットワン・クリスチャン・チャーチです。1997年のことでした。私たちは定期的に礼拝を捧げました。また、私は大学でも信仰を告白しました。神の恵みによって、私は公立学校で教える立場を得ました。これは、私にとってはよい仕事でした。私が教鞭をとっているとき、私は教会の成長のために一所懸命働きました。しかし、その1年後、私はその職を辞すことを決意し、教会の働きにフルタイムで献身することにしました。神の恵みを通じて、私は天国につながる魂をたくさん勝ち取ったのです。

マタイの福音書7章の7〜8節には、神は私たちの祈りに答えてくださるとあります。私が教会の青年部主事として働いているとき、私は社会や、大学から困難な仕打ちを受けました。私がクリスチャンだから、彼らは私を嫌ったのです。しかし、神の恵みによって、私は教会のメンバーを守り助けることができたのです。今では、この類の問題に直面することはなくなりました。

私の人生は、神様の働きの仕事であると、信じています。私は、私の教会の主任牧師、クリシュアン・パンデイ先生を、尊敬しています。私は、大学の学士の学位を取得しました。私は、200人のクリスチャンと、5人の孤児たちといっしょに、働いています。また、私は、ひとつの NGO を立ち上げました。この NGO、クリエイティブ・ウーマン・ソサイエティ・イン・ネパールは、女性の問題を扱う NGO です。ネパール政府は、政府系の機関に教会を設立することを許可していません。ソーシャル・ワーカーに対して働きかけるためには、NGO を立ち上げる必要があったのです。

ネパールでは、女性は支配を受けています。彼女らは家にいるだけで、主人からうける数多くの問題に直面します。しかし、金銭的な問題から、これらの問題に対する対策を十分に立てることができません。私たちは、主のみことばを宣べ伝えるために、この働きに献身しています。ヘルス・キャンプ、教育、短期農業指導、短期職業訓練、子どもたちの教育支援など。みなさんの日々の祈りの中に、これらの活動のことを覚えていただければと思います。みなさんの祈りが、聞かれるであろうことを、固く信じています。

私は、自分の経験から、はっきりと断言することができます。大きな挑戦なくして、ハイレベルで完全な成功はありえない。また、神様の領域に向かうにあたって、簡単な道のりなど存在しない。コリント人への手紙第二の12章10節には、「私は弱い時にこそ強い」と書かれています。また、イザヤ書41章13節には、「あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、『恐れるな。わたしがあなたを助ける』と言っているのだから。」とあります。私たちが神様の助けを受けているとき、私たちは何も恐れることはありません。神様が、必要をすべて満たしてくださるからです。

最後に、アジア学院のすべてのコミュニティーメンバーの皆様に、感謝を捧げます。そして、ネパールにある、私の教会に。日本の教会に。そして、個人的に、通訳者に。

感謝します。アーメン。


(2007年5月13日(日)、家の教会しおん(日本リバイバル連盟)主日礼拝・式内にて証し)